僕の生まれ故郷である埼玉県川越市に、「川越スカラ座」というとても古くて小さな映画館がある。1905年(明治38年)に開業した寄席「一力亭」を前進とし、生まれてからもう100年以上も経つノスタルジックな雰囲気に包まれた映画館である。
長年に渡り市内の映画ファンに親しまれてきたが、シネマコンプレックス全盛の時代において、経営的の危機に追い込まれることになる。その逆風に耐えられず、2007年(平成19年)5月27日を最後に、この「川越スカラ座」はついに休館となってしまう。
しかし同年8月18日、この劇場で上映会を行った経験を持つNPOに経営が譲られ、賛助会員を募るなどの形で500万円の出資金が集まり再オープンを果たした。
現在はミニシアター作品を中心に上映され、トークショーなどの催しも行う“市民映画館”として親しまれている。
特に現代社会は、デジタルテクノロジーの影響などもあり「超変化」の時代である。
とにかく変化が速く、そして激しい。
いま新しいものもすぐに古びたものとなり、存在意義そのものが問われてしまうこともざらだ。
「川越スカラ座」は確かに時代遅れも甚だしい。
この時代にポツリと取り残された、過去の産物だと揶揄する人もいるだろう。
それでも必死に自らの存在意義を見出そうとするかのような佇まいに、思わず見とれてしまう。
「川越スカラ座」は、自らが高速の変化を生み出しその高速の変化に高速に対応し続けなければいけない人間をどのように眺めているのだろうか。