つながり依存、脳腫瘍発生の危険性、経済損失・・・デジタルの影の部分にも明るい領域をつくらなければならない 小川和也・著『デジタルは人間を奪うのか』第1章 デジタル社会の光と影【後編】 | 立ち読み電子図書館 | 現代ビジネス [講談社]
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http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40552

手元のスマートフォンのアラートに頻繁に喚起され、それに手を伸ばしてはチェックを繰り返す。たとえ仕事の打ち合わせ中でも、である。そのアラートは、フェイスブック上で更新が生じたことやメッセージ受信のお知…

ドラえもんで描かれた道具を手にしつつある社会にもたらされた光と影。デジタルの恩恵は私達を幸せにするのか?  小川和也・著『デジタルは人間を奪うのか』第1章 デジタル社会の光と影【前編】 | 立ち読み電子図書館 | 現代ビジネス [講談社]
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http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40551

世界の総人口は70億人を超えた。2050年には96億人、2100年までに100億人を上回る見通しだ。世界の人口が増すにつれ、デジタルの存在感、それが及ぼす影響力も増す一方だろう。デジタルは、人類の歴…

「デジタルは人間を奪うのか」
Notes

ちょうど50周年を迎えた講談社現代新書より、拙書「デジタルは人間を奪うのか」を上梓させていただいた。

加速度的に進化するデジタルと人間の共生をテーマとし、人工知能やロボットからIoTまで、近未来のデジタル社会と人間の向き合い方について考察している。

一冊の本を書き上げるために使うエネルギーは相当のものであり、ゆえにこのように書店に並んでいる「姿」を目にすると感慨深いものがある。

それと同時に、顔の見えぬ読者と自著を通じてコミュニケーションし、審判を受けることに対して何とも言えない緊張感を覚える。
大量の読み物が無料で読める時代にあって、わざわざお金を払って本を購入してくれる読者に対し、著者としての責任があると考えているからだ。

このクリエイティブノートでも、本書で論じていることのポイントを抽出し、「人間とデジタルの共生」に関する考察を展開してみたい。

目のつくところに未読本を積み重ねていく理由
Notes

僕のデスクの目のつくところには、読みかけもしくは1ページも読めていない本が常に山積みになっている。

未読の本が日に日に蓄積していくのに、それでもさらにどんどん新しい本を入手してしまう。献本をいただく機会も多い。
Amazonや書店へ出向くとそれに輪をかけてしまうので、特に忙しいときなどはなるべく近寄らない努力をする。

「早く読みなよ」とでも言わんばかりのこの山積みの未読本は、一見“プレッシャーの塔”のようにも映る。
しかし、僕にとってそれは決して“プレッシャーの塔”ではなく、楽しみの蓄積なのである。

そうか。
だから、わざわざ目のつくところに未読本を積み重ねていくのか。

ヒットさせない
Notes

ある老舗化粧品メーカーの役員の方から、「あえて商品をヒット、流行させたくない」という話を聞いた。

本来商品をたくさん買ってもらいたいはずのメーカーがそのようなことを考えるとは、意外に思われるだろう。

もちろんそのメーカーだって、商品はたくさん売りたい。決して、売れなくてよいと思っている訳ではない。
では、その発言の真意はどこにあるのか。

「ヒット、流行というものは永遠に続くことはない。沸点が高いと、下がったときのブランド劣化が激しい。良い商品ほど長生きさせたいから、あまり激しい山を意識的につくらないようにしているんです」ということだった。

ヒットや流行がロングセラーのきっかけになることはあるので、必ずしもその山が悪いとは思わない。

しかしながら、「ああ、あんな商品が一時期流行っていたよね」とか、「昔よくテレビに出ていたあの人、最近全く見かけなくなったよね」というオチに使われる山というのがたくさんあるのも事実だ。

だから、仮につくれたとしても、山のつくり方というものには工夫がいる。

フィクションの中のノンフィクション
Notes

好きな小説を読むことから離れてしまっている状態は、自分にとっては忙しさのひとつのバロメーターとなっている。

小説を手に取る時間が増えると、「ああ、ちょっと落ち着いてきたかな」という心持ちになれる。

ずっと思っていることがある。
それは、フィクションこそ本当のこと、核心をついたことを書けるのではないかということ。

フィクションの中にノンフィクションを感じることがままあって、その逆に、ノンフィクションの中にフィクションを感じることは多い。

ということも、小説が好きな理由となっている。

季節感のない話
Notes

夏の真っ盛りではあるが、ファッションや商業施設関係の方と話をしてると、その目線は既に今年の冬や来年にあり、必然的に季節感のない話で盛り上がる。

とはいえベンチャー企業の経営者をやっていると、たいていは今ここではない未来のことを考えていることが多いから、季節感のない話はむしろ得意領域だったりする。

しかしその弊害もある。

それは、いま目前にある季節を味わうことをスルーしがちな癖が身についてしまったことだ。

この癖は、そろそろなくした方が良いと思っているのだけれど。

合理的ではないという贅沢
Notes

いま、9月に発刊される拙著の再校をしている。

紙で印刷された初校を読んでみると、PCのディスプレイに向かって書き込んだ文章とは随分違った印象になるから不思議なものだ。紙で読んでみてはじめて、大幅に書き直したくなる箇所が露になったりする。

手直しは、修正の履歴も残る文書作成ソフトウェアを使う方が明らかに便利であるし合理的だが、ゲラに直接ペンで赤入れするのが好きなので、あまり合理的ではない方の手段をあえて採択している。とにかくペンで、ひたすら赤を入れる。

スマートフォンにPC、これだけディスプレイに目を支配されていると、デジタルな手段より合理的な要素に欠けているにもかかわらず、紙と向かい合うことの特別感や喜びっていうものがあるからこれまた不思議だ。
どうも僕は、この合理的ではないところが贅沢にすら感じてしまうようだ。

無用の用
Notes

『老子』の中に「無用の用」という概念がある。
一見無用とされているものが、実は大切な役割を果たしていることを意味し、『荘子』にも同様の主旨の話が載っている。

恵子「あなたの話は役に立たない」
荘子「無用ということを知って、はじめて有用について語ることができる。大地は広大だが、人間が使っているのは足で踏んでいる部分だけである。だからといって、足が踏んでいる土地だけを残して周囲を黄泉まで掘り下げたとしたら、人はそれでもその土地を有用だと言うだろうか」
恵子「それでは役に立たない」
荘子「一見役に立たないように見えるものが実は役に立っているということが、はっきりしたであろう」

有用だと思っていたことが実は無用で、無用だと思っていたことが意外にも有用だったということは、実際よくあることだ。無用の中からこそ有用を見いだせることも少なくない。

何しろ、有用と無用の基準は人それぞれであり、その基準は自分仕様であるべきだ。
有用か無用かを決めるのは、他ならぬ自分自身なのだ。

これこそが「無用の用」という概念の前提であると考えているが、他者の声がソーシャルメディアなどを通じて必要以上に大きく聞こえてしまう社会においては如何せんあやふやになりやすい。

Fast Marketing
Notes

5年ほど前に書いた『ソーシャルメディアマーケティング』(P.77)の中で提唱した Fast Marketing(ファストマーケティング)という概念がある。

この概念を通じて、「いまを敏速に捉え、それを敏速に体現するマーケティング」がこれからますます必要になること、そして①情報の鮮度 ②計画・実行・評価・改善のサイクルスピード ③判断・意思決定のスピードの重要性を説いた。手元で寝かせすぎず、早めに世に出し、ユーザーの声をもとにどんどん改善していく方が成果をあげやすいというスタンスだ。

最近では、アメリカQualaroo社CEOショーン・エリス氏が提唱したグロースハッカーという職種が元となって生まれた「グロースハック」という言葉が注目されるようになった。これは、製品やサービスを利用するユーザー動向データから取得した数値やフィードバックなどを解析することで、製品・サービス自体の改善を迅速に繰り返してマーケティングの課題を解決する手法を指すが、ファストマーケティングとニュアンスが近い。

あれから5年間を経たいま、「改善を敏速に繰り返し、成果をあげるマーケティング」の有効性がよりいっそう高まっていることを感じている。

川越スカラ座
Notes

僕の生まれ故郷である埼玉県川越市に、「川越スカラ座」というとても古くて小さな映画館がある。1905年(明治38年)に開業した寄席「一力亭」を前進とし、生まれてからもう100年以上も経つノスタルジックな雰囲気に包まれた映画館である。

長年に渡り市内の映画ファンに親しまれてきたが、シネマコンプレックス全盛の時代において、経営的の危機に追い込まれることになる。その逆風に耐えられず、2007年(平成19年)5月27日を最後に、この「川越スカラ座」はついに休館となってしまう。

しかし同年8月18日、この劇場で上映会を行った経験を持つNPOに経営が譲られ、賛助会員を募るなどの形で500万円の出資金が集まり再オープンを果たした。
現在はミニシアター作品を中心に上映され、トークショーなどの催しも行う“市民映画館”として親しまれている。

特に現代社会は、デジタルテクノロジーの影響などもあり「超変化」の時代である。
とにかく変化が速く、そして激しい。
いま新しいものもすぐに古びたものとなり、存在意義そのものが問われてしまうこともざらだ。

「川越スカラ座」は確かに時代遅れも甚だしい。
この時代にポツリと取り残された、過去の産物だと揶揄する人もいるだろう。
それでも必死に自らの存在意義を見出そうとするかのような佇まいに、思わず見とれてしまう。

「川越スカラ座」は、自らが高速の変化を生み出しその高速の変化に高速に対応し続けなければいけない人間をどのように眺めているのだろうか。

言語化する技術
Notes

先日、教育の専門家と話をする機会があり、その際に「言語化する技術を育てることが重要だ」という話を聞いた。
特に最近の若年層には言語化する技術が欠如している人が増え、教育上のひとつの課題になっているという。
言語化する技術とは、端的にいうと「自分の思考や感じていることをきちんと伝えることができる技術」だ。
まとまった量の文章を読むことも書くこともしなくなり、ショートメッセージによる簡易なやり取りが中心になっていくうちに、気づいたらこの技術が劣化している。
自分が伝達したいことを相手に正しく伝えられないということはコミュニケーションの齟齬を生むし、社会生活において極めて重要な技能を欠いていることになる。

言語化する技能。
これを意識的に育てなければならない社会になりつつある。

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